オーデマ ピゲ ブティック銀座


高級時計文化を支える人々 世界の腕時計編集長―香山知子

高級時計文化を支える人々

ヨーロッパと日本では時計の発達は大きく異なります。その違いをわかりやすく述べるとするなら、時計製造の成り立ちの違いです。ヨーロッパの携帯時計は16世紀から王侯貴族や富裕な人々のために作られ、発展してきました。一方、日本では明治維新(1868年)後の1873年にそれまでの不定時法から定時法に改正されたことから日本独自の和時計ではなく西洋式の時計が必要となりました。また時を同じくして鉄道も開通しました。そこで日本の時計メーカーは多くの人が共通の時刻をもつために、正確な時の道具を作ることでスタートしたのです。

実用の道具としての時計と、特権階級の人々の欲求を満たす、複雑な機能を備え、かつ美しい贅沢品の時計。この背景の違いが異なる方向に時計を発展させてきました。高級時計とは何かを語るとき、この違いを認識しておくことは必要でしょう。そしてこれは優劣ではありません。
富裕な人々のパトロネージュによってイタリア・ルネサンスが栄えたように、ヨーロッパの高級時計が文化として発達した背景には上流階級の顧客=パトロンたちがいたからにほかなりません。しかし産業革命、鉄道の発達、戦争を通して近代化が進み、時間管理社会となります。そこで時計は誰もが必要とする道具となり、スイスやアメリカでは大量生産方式も発達し、庶民のための低価格品も作られるようになりました。今日でもスイス時計は高級メーカーを頂点とし、廉価時計を底辺とするピラミッドを形成しています。

さて実用品として生まれ、発展してきた日本の時計産業は1969年にクオーツ腕時計を生み出しました。クオーツが国際市場を席捲し、一度は時計産業の存続すら危ぶまれたスイスの機械式時計ですが、今日では機械式時計が見事に復興を果たしました。デジタルがアナログを駆逐する現代にあって、これは特異な例です。

復興の理由は何か。これにはいくつもの答があります。しかし機械式時計、特に高級機械式時計を文化ととらえ、その伝統を絶やすべきではない、という強い意志と愛情をもった有名無名の多くの人々の存在があったことはたしかです。そして高級時計文化の継承者のなかで忘れてはならない人々が、こつこつと単調ともいえる作業に長時間、意識を集中させ、手作業を続ける数多くの職人たちです。その作業のひとつがムーブメントの部品の仕上げや装飾です。

今日、スイスではピラミッドの頂点に立つ、限られたメーカーが高級時計文化の伝統の維持に投資を厭わず、力を注いでいますが、オーデマ ピゲもそのひとつです。
どれほど技術が進化しても、手作業でしか得られない美しさの追求に妥協をしないことが高級時計の価値であり、またそうした作業を黙々と続ける職人たちの存在にこそ価値があるのです。

ムーブメント部品の仕上げ

高級機械式時計と中級クラスの機械式時計、それぞれの裏蓋を開けたとき、ムーブメントが放つ輝きのちがいに気がつくことでしょう。もちろん中級クラスの時計であっても精度や性能が劣ることはありません。しかし高級機械式時計のムーブメントは独特の光に包まれています。その光を生み出すのが、手作業による数々の仕上げです。

ところで高級時計=手作り、と誤解されることがありますが、今日、部品はコンピュータ制御の自動旋盤や放電加工機、プレス加工機などを使って作られます。工作精度の向上によって機械加工で作られた部品は均一で、量産品であればそのままでも使うことは可能です。たとえばネジであれば、最新のNC旋盤を使って±3ミクロンという精度でネジを切り出すことができ、どんなタイプのネジもネジ切りされた最終的な状態で切削されます。
しかし地板や受け、歯車から微小なネジに至るまでさらに手で緻密な仕上げを加えることで、高級時計が誕生します。組み上げられてしまえば目に触れることのない部品であっても何時間もの時間をかけ、丹念に磨き、あるいは装飾を施します。非効率的な不必要な作業に手間隙をかける、これが高級時計です。

1.面取り

面取りとは部品の表面と斜面の間のエッジを取り除き45度の傾斜の斜面をつくって、その斜面に磨きをかけることです。面取りをしてバリ(金属カス)を取り、さらに研磨をします。バリはムーブメントの機能を妨げる恐れもあり、しっかりと取り除かなくてはなりません。
ムーブメント部品の形状はさまざまで、それぞれに角があります。この角を美しく処理することが高級時計には求められます。特にコワン・レントラン(戻り角)と呼ばれる、ふたつの斜面が交わる角を内側に向けて鋭い角に「戻る」のはむずかしく、現代の最新機械であってもこの角を削り出すことはできません。つまり熟練した職人の手作業がなくてはなりません。
手作業による面取りでは修正ヘラ、磨き棒、砥石と回転式研磨機が使われます。

2.穴周りの仕上げ

ムーブメント部品には多くの穴があります。ドリルで開けられた穴にはバリが残っていて、これがムーブメントに落ちると時計の機能に支障をきたしますから、穴についたバリを取ることはどんな時計でも最低限、必要となります。しかし高級時計ではこれだけでありません。専門の職人がさまざま種類のカッターや木棒を使い、手作業で穴の周囲を磨きあげます。面取りのほか、「浅彫り」、「露天彫り」と呼ばれる仕上げがあります。
このほか機械式時計の駆動機能をもつ歯車とカナ、部品を留めるネジ、ピンやホゾなど、どれほど小さなものであっても、すべての部品を伝統的な手作業で長時間にわたり仕上げていきます。

3.鏡面仕上げ(ポリ・ノアール)

光のコントラストは高級時計ムーブメントの美しさを作りだします。光を理想的に集めるために部品表面に丁寧な研磨を徹底的に施さなくてはなりません。研磨は防錆効果もありますが、どちらかといえば美的効果のために行なわれます。ポリ・ノワール、すなわち黒磨き(鏡面仕上げ)はシミ、キズ、跡がまったく無く、完全に平らに磨くことで、光が直角にあたり表面が黒く見えることから、こう呼ばれます。

ポリ・ノワールはまず紙やすりと、研磨剤を注入しラップ盤を使って下準備を行います。中級クラスの機械式時計ではこの段階で問題ありません。高級時計ではきめの細かいダイヤモンドペーストを使って亜鉛プレートの上で手作業で研磨していきます。トゥールビヨンキャリッジでは10時間は必要といわれます。

4.装飾

部品は磨き上げられるだけでなく、伝統的な模様の装飾が施されています。たとえばムーブメントの受けに施されるコート・ド・ジュネーブ、受けや地板などに入れられるペルラージュやソレイヤージュ、回転錘や香箱、香箱蓋に施されるらせん状コリマソナージュやサークラージュ、そして文字盤を飾るギヨサージュなどです。地板に施されたペルラージュのように、目に見えない部分ですら美しく装飾されますが、これが高級機械式時計なのです。

現代では機械を使って装飾加工も可能です。しかし平均化された模様ではなく、味わいのある装飾を完成させるには手仕事には勝てません。
ギヨサージュも自動NC旋盤でできるようになっていますが、高級機械式時計のメーカーは100年以上前の手動旋盤を使い、ベテランの職人の手で行なっています。手動旋盤も、それを操ることができる職人も、メーカーにとっては偉大な財産です。

このほか彫金や刻み込み模様、ムーブメントのスケルトン加工など、芸術的な美しさを追求した装飾加工も高級機械式時計の伝統のひとつです。ムーブメントの機能と美しさ、ケース・デザインの独創性と美しさ、すべてに完璧を求め、設計から製造に至るまで細部に注力することで高級機械式時計は完成し、それを担う多くの人々がいることを忘れてはなりません。

香山知子(かやまともこ)

1980年代半ばから時計関連の取材を始める。「TIME SPEC」編集長、ワールドフォトプレス ロサンゼルス特派員等を経て、1996年に「世界の腕時計」編集長に就任。著書に『スイス時計紀行』(東京書籍)、『カルティエ時計図鑑』(グリーンアロー出版)等がある。

「世界の腕時計」は1990年に創刊した、日本の時計専門誌の草分け的存在。年4回(3月、6月、9月、12月のそれぞれ8日発売)発行。

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